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2020年度入学式 学長式辞

2020.09.14

 入学式 式辞

 
わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。[コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章18節]

新型コロナウイルス感染への恐れが消えない中、私たちは今、半年遅れの入学式を行っています。皆さんは今、どんな思いでこの式に参列しておられますか?「やっと入学式を迎えられた!」そう、喜んでおられる方も多いことでしょう。しかし中には、「こんな時に入学式ですか?」と不安を抱きつつ席に座っておられる方もいらっしゃるに違いありません。「今は我慢の時ではないか!」――そう思って当然の、私たちをとりまくコロナの状況です。

星野富弘さんという画家そして詩人がおられます。群馬県の中学校の体育の先生でしたが、新任後まもなく事故で頸椎を損傷し、手足がまったく動かなくなってしまいました。彼は自分の運命を恨みましたが、やがてキリスト教の信仰に導かれ、そして、ひっそりと美しく咲く草花を通して神様の愛を知るようになりました。彼は口に筆をくわえて草花を描く練習を始め、その横に、短く感謝の詩を添えました。彼が描き出す美しい花々と素朴な詩は、以来、多くの人々の心をつかんで放しません。本学にこの3月までお勤めになっていた なかにしあかね先生は、彼の詩に美しい曲を付け、それら一連の歌曲はいま全国の合唱団で歌われています。

この星野さんが、子どものころ渡良瀬川で溺れかけた時のことを書いておられます。――犬かきでピチャピチャやっているうち、いつの間にか川の真ん中まで流されてしまった。元の場所に戻ろうと必死に手足をバタつかせるが、友達の姿は遠ざかるばかり。川は恐ろしい速さで私を引き込み、助けを呼ぼうとして何杯も水を飲んだ。その時ふと「そうだ、何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか」との思いが頭の中にひらめいた。私はからだの向きを180度変え、今度は下流に向かって泳ぎはじめた。するとあんなに速かった流れも、私をのみこむ程高かった波も静まり、毎日眺めている渡良瀬川に戻ってしまったのである。やがて前方に見えてきた浅瀬に無事たどりつくことができた。――彼は、この渡良瀬川の経験を、車いす生活になった時の心の焦りと、静かに咲く花々に心の落ちつきを見つけた自分に結び付けて振り返るのです。

このエピソードの中にコロナの時代を生き抜くヒントがあると思います。コロナの川の流れはとても強い。元に戻ろうと焦っても、そう簡単にはいきません。この春、人に極力会わず、ステイホームしていた頃の私たちは、元の岸辺に戻ろうと流れに逆らって泳ぐ星野少年でした。夏になればコロナも収束すると思っていました。そのための我慢でした。しかし夏になっても、私たちは元の岸辺にたどり着くことができませんでした。

コロナの終息まで、あと3年かかると言われています。3カ月なら、対面禁止の自粛生活を我慢し続けることも出来るでしょう。しかし3年となると、とても無理です。もし私たちがここで、コロナ感染拡大防止を理由にすべての対面活動を取りやめたなら、私たちはこれから先3年間、入学式、対面授業、課外活動、大学祭を再開する理由を持ちません。そんな生活を大学生活と呼べるでしょうか。そんな大学に入りたいと思うでしょうか。確かに感染拡大防止には大いに役立つことでしょう。しかしコロナが収束する前に、私たちの心は病み、バイト先はなくなり、大好きだった街のお店は潰れ、街から音楽は消え、そして私たちのような小さな大学は消え去ってしまうことでしょう。

私たちは泳ぐ向きを変えなくてはなりません。私たちは元の場所に戻るのではなく、新しい浅瀬を探すべきです。そうしないと世界が滅んでしまいます。私たちは向きを変える先駆者になりたいと思います。私たちが問うべきことは、けっして、コロナの時代に入学式を行ってよいのか、対面授業を、課外活動を、大学祭を行ってよいのか、ではありません。そうではなく、どのような入学式なら、対面授業なら、課外活動なら、大学祭なら、このコロナの時代でも安全に行うことができるか、これを問うべきなのです。コロナと戦い続けるには体力と気力が必要です。そのためには、私たちは人と会う必要があるのです。私たちは例年1日で終えていた入学式を、3日かけて行うことにしました。3密を避けるよう十分注意しながら対面式の授業を開始し、大学祭を行うことにしました。

いま私たちは、このような中で今日の入学式を迎えています。今日はぜひ、皆さんが、コロナ新時代の新しい歩みを、この宮城学院女子大学において歩み出した日として、心にお覚えいただきたいと思います。そのような日として、私は皆様に「ご入学おめでとうございます!」と、申し上げたいと思います。

コロナの時代に前を向くためには、当然のことながら、私たちは保健衛生に人一倍気を付けなくてはなりません。大丈夫だから対面を行うのではないのです。大丈夫なように対面を行うのです。そのためには、当たり前のことを馬鹿にしないでちゃんとやる必要があります。マスクをつける。マスクを取ったら大声でしゃべらない。手で顔を触らない。蛇口を見つけたら手を洗い、消毒液を見つけたら消毒する。少しでも体調が悪いときは遠慮なく休む。こうしたことを徹底したいと思います。

しかしコロナの時代を生き抜くには、これら衛生面の注意だけでは不十分です。私は、コロナの時代を生き抜く鍵は、最初にお読みした聖書の言葉にある、「見えるものではなく、見えないものに目を注ぐ」こと、にあると思っています。私たちが目を注ぎたい、目に見えない、しかし大切なものを、3つお話したいと思います。

1つ目は、対面にとっての遠隔です。これから対面授業を始めると、遠隔授業は次第に見えない存在となることでしょう。しかし対面授業が可能なのは、私たちがいつでも遠隔授業に戻れるからなのです。前期の遠隔授業は、送る方も受ける方も本当に大変でした。今だから申し上げますが、皆さんは例年よりもはるかにたくさんの課題をこなしました。しかしお陰で私たちは、遠隔授業のやり方を身に付けました。それは登山で言えば、ベースキャンプを張ったようなものです。天候が悪くなればいつでも戻れるベースキャンプ。これがあるから登山家たちは山頂を目指すことができます。いつでも戻れる場所があるから、安心して挑戦を続けることができる。私たちはこのことを忘れないようにしたいと思います。

第2の見えない大切な存在、それはここにいない人たちです。今日の入学式、どんなに835名の新入生全員そろって行いたかったことでしょう。しかし今この場にいない他学科の人たちがいるからこそ、あるいは、コロナが怖いので遠隔で参加している仲間がいるからこそ、今私たちは密にならずにこの場に集まることができています。ここにいない人がいるから、ここにいることができる。このことを、私たちはいつも心に覚えたいと思います。

最後の、そしてけっして忘れてはならない見えない存在は、コロナに感染した方々です。コロナは私たちの社会が集団免疫を獲得するまで安心できません。私たちはコロナから逃げきれないのです。集団免疫とは、人口の半数を超える人たちが抗体を持ち、その人たちがウイルス感染の拡大をブロックするので、残りの未感染の人たちが守られることを言います。抗体を獲得する最も安全な方法はワクチンですが、コロナに感染することもまた、間違いなくその1つです。もちろん感染は死を含む大きな危険を伴いますから、私たちは万難を排してこれを避けようとするのですが、しかし不幸にして感染した方々が、結果として社会の集団免疫獲得に貢献していることは間違いありません。感染者と未感染者は、このように目に見えない形でしっかりと繋がっています。このこともまた、忘れてはならない大切なことです。

宮城学院女子大学で学ぶということは、まさにこの「見えないものに目を注ぐ」ことを学ぶことです。本学は1886年、今から134年前に創立された宮城女学校が礎となっています。スクールモットーは『神を畏れ、隣人を愛する。』人間を超えた存在の前に居住まいを正し、神のほかには何も恐れず勇気を持って隣人を愛する、という意味です。神様は目に見えませんが、隣人もまた、なかなか目に見えないものです。私はある合唱団の指揮者を務めているのですが、昨年、世界トップクラスのスウェーデン放送合唱団から「仙台で一緒にコンサートを開きませんか」という夢のようなお話を戴きました。世界一の歌声で、震災復興に励む若者たちを応援したい!そう思ったのですが、どうしても予算の折り合いがつきません。泣く泣くお断りしようとしたその時、団員の中の幾人かの女性たちが「お金のことでこんな素晴らしい機会を逃すなんて情けない!」と動きだし、多額の寄付金を集めてくれました。宮城学院女子大学グリークラブの同窓生たちでした。彼女たちの勇気ある行動が呼び水となって多額の寄付が集まり、コンサートは大成功となりました。篤い感謝の言葉を彼女たちに送りますと「宮城学院では『人の役に立つ事を喜びとしなさい』と教えられましたから」と、さりげなく返事が返ってきました。

皆さんがお入りになった大学は、このような大学です。この宮城学院において、コロナの時代と共に、皆さんは新しく大学生活、大学院生活を始めることになりました。皆さんの大学生活が、ご卒業・ご就職にいたるまで、実り豊かに神様の守りのうちにあることをお祈りいたしまして、学長からの式辞といたします。

「本日はまことにおめでとうございます!」

 

2020年9月9日・10日・11日
宮城学院女子大学 学長 末光 眞希

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